∽*∽*∽*∽*∽ 秘密情報官XX プルトニウム奪回作戦 ∽*∽*∽*∽*∽


秘密情報官XX プルトニウム奪回作戦

 第四章 輝く海

     1

 椰子の葉が、爽やかな潮風にそよぐ南の楽園グアム島は、朝の心地よい静けさに包まれていた。マリンスポーツで賑わう白い砂浜も、まだ人影は疎らで、朝の静けさに包まれていた。
 秘密情報官の高杉慶介が宿泊しているホテルの中庭には、大きな噴水があり、それを囲むようにしてカフェテリアの客席がレイアウトされていた。
 人影が疎らなカフェテリアの周りには、椰子の木や色鮮やかな花々が植えられ、大きな噴水が涼しさを醸し出していた。
 そのカフェテリアで朝食を終えた高杉は、コーヒーを啜りながら、グアム島近海の海図を熱心に見つめていた。
「おはよう、慶介さん」
 高杉は、聞き覚えのある女の美しい声に呼び掛けられて顔を上げた。
 そこには美しい笑顔を湛えた鳥羽翔子が立っていた。
「あっ、おはよう、翔子。早いね」
 二人は昨日、愛を交わしてから、自然と名前で呼び合うようになっていた。
 翔子は高杉のテーブルの席に座りながら、高杉の手元に目をやった。
「それは、海図ね」
「ああ。プルトニウムは何処に隠されているのかと思ってね、見ていたんだ。昨日、何者かが我々を襲ってきたところを見ると、プルトニウムはこのグアム島近海の何処かに、隠されているのに違い無いと思うんだが…」
「そうね」
「恐らく、プルトニウムは輸送機とともに、海に沈められているのだろう。しかも、誰にも見られずに、海へ沈めたとなると、グアム島よりかなり沖だ。沈めた後の回収作業を考え合わせると、沖の何処かの浅瀬へ沈めたに違いないと思うんだが…」
 高杉は考え込むようにそう言った。
「もうすぐ、グラントさんの所へ出かけるんでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、私も一緒に行っていいかしら?」
「いや、それはできない。昨日みたいな危険な目に合うかも知れないからね」
 思いもよらない高杉の言葉に、翔子は表情を曇らせた。翔子は、てっきり今日も高杉と一緒に行動できるものだと思い込んでいただけに、突然突き放されたようで、一抹の寂しさを覚えた。確かに高杉と一緒に行動すると、昨日みたいな危険な目にあうかも知れない。しかし、翔子が高杉と一緒に行動したいのは、日常生活では味わえないようなスリルや危険に対する好奇心、未知の世界に対する冒険心などではなかった。翔子はただ、少しでも多く高杉と一緒にいたいと思っていたのである。
 翔子は、白く美しい眉間を寄せながら、訴えかけるような目つきで、
「足手まといにならないようにするから、お願い、お手伝いをさせて」
と言った。
 高杉は翔子の懇願に暫く考え込んで、口を開いた。
「それでは一つ、頼みたいことがある」
「何かしら?」
 翔子の表情に再び明るさが戻った。
「グアム島の沖で、誰にも気づかれずにジャンボ・ジェット貨物輸送機を沈められるような浅瀬が無いか、詳しく調べてくれないか」
「ええ、わかったわ。調べてみるわ!」
 翔子は高杉の頼みを快く引き受けた。翔子は少しでも高杉の手伝いができることが、とても嬉しかった。たとえ今日は、一緒に行動できなくても、少しでも高杉の手伝いをすることができれば、高杉の存在を近くに感じることができる思った。翔子の顔は美しく輝いていた。
「頼んだよ」
「ええ。でも一人で、気をつけてね」
「ああ、わかったよ」
 高杉がいくら自衛隊で特殊訓練を受けていると言っても、昨日のような危険な状況を目のあたりにすると、翔子は少し不安であった。翔子が高杉に一緒に付いて行きたいと言ったのも、純粋に一緒にいたいという思いだけではなく、高杉の身を案じたからでもあった。
 高杉と翔子は暫く、お互いに見つめ合った。そして二人はテーブル越しに熱いキスを交わした。
「よし、出かけるとするか」
 高杉は踏ん切りをつけるようにそう言った。
「車はどうするの?」
 翔子の赤いスポーツクーペは、昨日の銃撃で使い物にならなくなっていた。
「ちゃんと、手配してあるよ」
 高杉は車のキーを翔子に見せながらそう言った。
「じゃあ、駐車場まで送らせて」
「ああ」
 高杉は部屋のキーをフロントに預けると、翔子を連れてホテルの駐車場へ向かった。
 ホテルの屋外の駐車場には、高杉が手配した白いスポーツクーペが停めてあった。その流れるような流線型の白いボディーは、朝の太陽の光を受けて美しく輝いていた。
 そのスポーツクーペは日本製で、排気量4000CC、水冷V型8気筒、最高出力260馬力を発生させるフォーカム32バルブ・エンジンを搭載していた。しかもその車は、市販車で唯一、F1で使用されているアクティブ・サスペンションを搭載しており、それはまさに、公道を走るモンスター・カーであった。
 高杉はそのスポーツクーペに乗り込むと、イグニッション・キーを回した。するとそのモンスター・カーは、スターターの小気味良い音とともに、軽快なエンジン音を鳴り響かせた。
「それじゃあ、例の件は頼んだよ」
「ええ。気をつけてね」
 翔子は心配そうにそう言った。
「ああ」
 高杉はそう言いながら翔子にウインクをすると、思いっきりアクセルを踏み込んだ。
 白いスポーツクーペは、V8フォーカム・エンジンの轟音を轟かせながら発進した。
 翔子は胸に手を当てて、遠ざかっていく白いスポーツクーペを複雑な思いで見送った。
 高杉が覗き込むバックミラーには、セミタイトのスカートから伸びた翔子の細く美しい脚が、いつまでも同じ場所に留まっているのが映っていた。

     2

 グアム島の名士であり、観光や海運などの事業を手広く行っているアンドリュー・グラントの邸宅は、グアム島南部の海に面した小高い丘の上にあった。その丘の南側から見下ろせるところに、グラントの所有するクルーザーが、繋留されているマリーナがあった。
 そのマリーナには、大小様々なクルーザーや色採り採りのヨットが何十隻も繋留されており、海を渡る潮風にゆれるヨットのマストが、太陽の光を反射して輝いていた。
 数あるクルーザーの中でもグラントのクルーザーは、一際、目を引く大型で最新式のクルーザーであった。いかにもスピードが出そうなその白い流線型のクルーザーは、グラントの豊かな経済力を物語っていた。
 高杉がそのマリーナにスポーツクーペで乗り付けると、グラントは十人程のクルーを使って、出航の準備をしていた。
「おはようございます、グラントさん」
 高杉はマリーナの桟橋で、出向準備の指揮をしているグラントにそう声をかけた。
「あっ、おはよう、高杉さん」
 グラントは高杉の方を振り返ると、にこやかにそう言った。
「素晴らしいクルーザーですね」
「いやいや、ただの道楽ですよ」
「二十ノット以上出そうですね」
「ええ、軽く二十五ノットは出ますよ。さあ、デッキの方へどうぞ」
「あっ、荷物があるんですが…」
「それでしたら、クルーに運ばせましょう」
「お願いします」
 高杉はグラントのクルーに、車のトランクに入っていた荷物をクルーザーへ運んでもらった。
「それは、測定機か何かですか?」
 グラントはクルーザーのデッキに運び込まれた高杉の荷物を興味深そうに見ながらそう尋ねた。
「ええ、高性能金属探知機とガイガー・カウンターです」
 ガイガー・カウンターとは、放射能測定機のことである。それらの機材は昨日、東京より届いたものであり、プルトニウムを探すための機材であった。
「探検に出かけるみたいで、ワクワクしますな」
 グラントは興味をそそられたようにそう言った。
「この高性能金属探知機は、指向性が九十度で探知距離が最高十メートル、レンジの切り替えで一メートル未満の金属片には反応しないように調整できるんです。そしてこのガイガー・カウンターは、指向性九十度から三百六十度まで可変可能で、自然界の微小な放射能には反応しないようにレンジの切り替えができます」
 高杉は少々得意になって説明した。
「まさに技術大国日本の為せる技ですな」
 グラントは感心したように言った。
「いやいや」
 母国日本を誇りに思っている高杉は、自分が誉められたようで嬉しかった。
「で、出航しますが、どの辺を捜索しますか?」
「これを見てください」
 高杉は手に持っていたアタッシュケースの中から海図を取り出し、それを広げると説明をはじめた。
「グアム島東部の沖、この辺りに浅瀬が広がっていますので、ここをまず捜索してみようかと思います」
「どうして浅瀬なんかを?」
「いや、単なるカンですよ」
 高杉は悪戯っぽくそう言った。
 やがてグラントの大型クルーザーは、静かなエンジン音とともにマリーナを出航し、エメラルド・グリーンに輝く美しい海を滑るように航行していった。
 煌く太陽の下、クルーザーのデッキで爽やかな潮風に全身を包まれていた高杉は、プルトニウムの発見に思いを馳せていた。
 マリーナを出航して三十分程経つと、辺りの海は、エメラルド・グリーンからコバルト・ブルーの色に変わり、青い水平線に囲まれていた。果てしなく広がる空は何処までも青く澄み渡り、微かに浮かぶ白い雲を眺めていると、高い空に吸いこまれていくようであった。
 暫くすると、高杉が持ちこんだ金属探知機のセンサーが激しく反応した。
「この辺りに何かあるようですな」
 グラントは金属探知機のレベルメーターを覗き込みながらそう言った。
「しかし、ガイガー・カウンターが反応しないな…」
 高杉は放射能測定機のレンジをいろいろと切り替えながらそう言った。
「何かあるかもしれないから、クルーザーを停めて潜ってみましょう」
 冒険心を掻き立てられたグラントは、目を輝かせながらそう言った。
「そうですね」
 高杉はそう相槌を打った。
 もしかしたらプルトニウムを積んでいたジャンボ・ジェット貨物輸送機かも知れない! だとすれば、何らかの手がかりが発見できる筈だ! 高杉はそう思うと、胸の高鳴りを覚えずにはいられなかった。
 高杉とグラントは一緒に潜水するクルー三人とともに、ダイビング用のウエットスーツに着替えると、コバルト・ブルーに輝く美しい海に潜った。
 高杉が海の中から海面を見上げると、水面は太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。海の水は青く澄み渡り、浅瀬の海底まで太陽の光が届いていた。
 高杉とグラント達は、金属探知機が強く反応した方向へと海の中を進んでいった。
 すると、彼等の目の前に、何メートルもある大きな人工物らしき塊が見えてきた。
「もしや、プルトニウム輸送機では?!」
 高杉は、はやる気持ちを押さえながら、その人工物らしき塊にどんどんと近づいていった。
 高杉達が近づくにつれ、その人工物らしき塊の一部に、航空機の垂直尾翼らしきものが見えはじめてきた。
「間違いない! あれは航空機だ!」
 高杉はそう確信した。
 だが、高杉達がその人工物らしき塊の所にたどり着くと、そこにあったものはプルトニウム輸送機ではなかった。そこにあったものは、第二次世界大戦で撃墜された戦闘機の無残な残骸であった。
 高杉は念のために辺りを詳しく調べたが、最近沈んだようなジャンボ・ジェット貨物輸送機の姿形は、微塵も無かった。
「そうか、うかつだった!」
 高杉は心の中でそう呟いた。
 金属探知機は、第二次世界大戦で撃墜された戦闘機の残骸に反応したのである。だから放射能測定機は全く反応しなかったのである。
 高杉は、酸素を吸うためのレギュレーターを口にくわえながら苦笑いをした。
 しかし、海の中には、美しい世界が広がっていた。
 透明度の高いコバルト・ブルー海、群れをなして泳ぐ色鮮やかな熱帯魚、何処までも広がる珊瑚礁、かつて、ここで激しい戦闘が行われたとは思えないほど、海は平和と美しさに満ち溢れていた。
 高杉とグラント達は、その後も何度か海に潜り、捜索を繰り返したが、何も発見することができなかった。
 やがて太陽が傾き出し、コバルト・ブルーに輝いていた海は、オレンジ色に染まり始めていた。
 プルトニウムどころか、その手かがりも発見することができなかった高杉は、クルーザーのデッキで一人佇み、オレンジ色の夕日を見つめていた。
 暫くすると、デッキで一人佇んでいる高杉のもとへ、グラントが歩み寄ってきた。
「何も見つかりませんでしたね」
「ええ…」
 高杉は力なくそう答えた。
「放射性廃棄物の不法投棄なんて、無かったんじゃないんですか?」
「いえ、まだ決まったわけではないですよ」
 高杉は遠くを見つめながら、そう言った。
 二人の間に暫く沈黙が流れた。
 だが突然、グラントは思い出したように口を開いた。
「どうでしょう? もし、良かったら今晩、私のホテルで行われるディナーショーをご覧になりませんか?」
「ディナーショー…ですか?」
「ええ、大した物ではありませんが、是非お越し下さい」
「では、お言葉に甘えて」
 高杉の顔に笑顔が戻っていた。
「どうぞ、どうぞ」
 グラントもにこやかにそう言った。
 クルーザーがマリーナに到着すると、空はオレンジ色から紫色へと変わる美しいグラデーションを描いていた。
 そして太陽は、遥か西の水平線へと、静かに消えていった。

     3

 アンドリュー・グラントが経営するホテルは、グアム島の北西部にあるタモン湾に面したタモンビーチにあり、グアム島で一、二を競う豪華な高級ホテルであった。ホテルの最上階のレストランからは、恋人岬からイパオビーチまで一望でき、プール、ディスコ、テニスコートは勿論のこと、フィットネス・クラブやエステティック・サロン、そしてカジノを備えた豪華な高級リゾートホテルであった。
 そのホテルにある大ホールは、上品な色合いの絨毯が敷き詰められ、天井からは豪華で煌びやかなシャンデリアが七色の光を放ち、テーブルや椅子は籐製品で統一された贅沢な造りになっていた。
 その大ホールでは連日、ディナータイムにマジックショーが行われていた。ロープがスティックになったり、シルクハットから鳩が飛び出したり、トランプカードが右手から左手に瞬時に移ったりと、次々に華麗なマジックが繰り広げられ、マジシャンのあざやかな手つきに、ディナー会場は観客の歓声で大いに盛り上がっていた。
 そんな中、秘密情報官の高杉慶介とホテルのオーナーであるアンドリュー・グラントは、観客席の最前列にあるVIP席で、マジックショーを楽しんでいた。
 そしてマジックショーは、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。
「今宵は、いかがお楽しみ頂けたでしょうか? さて、最後にご覧頂きますマジックは、ディナーショーへ、お越し頂いております皆様の中のどなたかに、お手伝いを頂きたいと思います」
 四十歳半ばの白人のマジシャンはそう言うと、ゆっくりと会場を見渡した。
 会場の観客達は、皆、我か我かとそわそわしだした。
 マジシャンは一通り会場を見渡すと、
「そうですね、そこのあなたは如何でしょう?」
と言いながら、手のひらで高杉を指した。
 高杉はマジシャンの予期せぬ指名に、人差し指を自分に向け、自分ですか?というジェスチャーをした。
「そうです。あなたです」
 高杉は右手を左右に振って、辞退のジェスチャーをした。
「さあ、遠慮なさらずに、どうぞこちらへ」
 マジシャンはそう言って、高杉を促した。
「いい思い出になりますよ」
 高杉の隣に座っていたグラントもそう言って、高杉を促した。
 とその時、先程からマジシャンの隣で手際良くアシスタントを務めていた白人の美しい女が、長い金髪を靡かせながら、高杉を席まで迎えにや来ていた。その白人の美人アシスタントは、二十歳代半ばで、赤いスパンコールのレオタードを身にまとい、両手には白く長い手袋をはめていた。
「さあ、どうぞこちらへ」
 美人アシスタントは美しい笑みを湛えながら、高杉に手を差し出した。
「仕方ない…」
 高杉は苦笑いしながら、美人アシスタントに案内され、マジシャンが待つステージへと上がって行った。
 高杉がステージに上がると、場内から大きな拍手が沸き起こった。
「ようこそ、お越し下さいました。あなたにお手伝い頂くマジックはこちらです!」
 マジシャンが力強くそう言うと、舞台裏から黒い大きなシーツに覆い被されたマジックの小道具が、ステージの中央へと運び込まれてきた。
 マジシャンがその黒い大きなシーツを勢い良く剥ぎ取ると、その中から出てきたものは、細長い木箱に人が入り、その箱の真中を大きな回転式の電動鋸が、真っ二つに切断していくというものであった。
 観客は一瞬にして、それがどんなマジックであるかを悟り、息を呑んだ。
「まっ、まじかよ…」
 高杉は顔を引き攣らせながらそう呟いた。
「さあ、中へお入りください」
 高杉は美人アシスタントにエスコートされるままにその木箱に入り、仰向けに横になった。
 高杉の顔は緊張感で強張っていた。
 いくらマジックとは言え、もし、万が一失敗したら…。いや、もしかしたら、このまま殺されてしまうのでは?! 昨日、命を狙われていることだし…。しかし、大勢の観衆の前では殺さないと思うが…。高杉は天井にあるスポットライトを見つめながら、いろいろな考えが脳裏を過った。
 やがて高杉の入った木箱のふたが閉められ、高杉は暗闇の中に、一人閉じ込められてしまった。
 そして観衆が固唾を飲んで見守る中、直径1メートル以上ある円形の回転式電動鋸は、独特の轟音を響かせながら、ゆっくりと高杉の入った木箱を削り始めた。
 金属独特の銀色の鈍い光を放つ鋸の刃は、容赦無く、高杉の入った木箱を削って行き,切り口は、じりじりと下がっていった。一秒一秒が何時間にも思えるような張り詰めた緊張感が会場を包んだ。会場にいる観客達は、誰一人として、口を開くものはいなかった。
 そして遂に、高杉が入っている木箱は、電動鋸によって真っ二つに切断されてしまった。
 電動鋸が元の位置に戻り,回転が止まると、マジシャンと美人アシスタントは、それぞれ二つに分かれた木箱を引き離し、木箱が完全に切断されたことを観客にアピールして、再び切断された木箱同士をくっつけ、木箱に黒い大きなシーツを被せた。
 胸を突くような大きなドラムの音が鳴り響くと、会場に尚一層の緊張感をもたらした。
 観客が固唾を飲んで見守る中、マジシャンは数を三つ数えて、ゆっくりと黒い大きなシーツを剥がし,木箱のふたを開けた。
 そして美人アシスタントが、その木箱の中に右手を差し入れると,中から五体満足のままの高杉が出てきた。
 高杉は無事だったのである。
 美人アシスタントが、立ち上がった高杉の左手を高く上げたとき,ディナー会場は拍手と歓声で埋め尽くされた。
 高杉の顔には、爽やかな笑顔が戻っていたが、額には微かに汗が光っていた。

     4

 夜も更けたころ,秘密情報官の高杉慶介はホテルのバーのカウンターで、タバコをくゆらせながら、一人グラスを傾けていた。
 間接照明により、落ち着いた雰囲気が漂うそのバーは、客も疎らで,十席程あるカウンター席には、高杉一人だけが座っていた。壁沿いに置かれたテーブルには、ロウソクの炎が揺れ、何組かのカップルが、静かに愛をささやき合っていた。
 バーの中央には、白いグランドピアノが光の中に浮かび、赤いドレスを着た一人の女が、心地よいラプソディーを奏でていた。
 高杉はバーボンの水割りの入ったグラスを見つめながら、今日一日の出来事を頭の中で振り返っていた。
 グラントにクルーザーを出してもらいながら、プルトニウムどころか、その手がかりも発見できなかった。昨日、何者かに命を狙われたのは、こちらを欺くための芝居だったのだろうか…。もしかしたら、このグアム島には、プルトニウムは無いのなも知れない。他の秘密情報官達は、プルトニウムやその手がかりを発見したのだろうか…。
 高杉がそう考えを巡らせていると、高杉の隣の席に一人の女が腰掛けてきた。その女は、白い花柄のワンピースに身を包み、まばゆいばかりの金髪を背中まで伸ばした美しい女であった。
「マルガリータをくださるかしら」
 その金髪の女は、カウンターの中にいるバーテンダーにそう言った。
「かしこまりました」
 バーテンダーはそう言うと、カクテルのマルガリータを作りはじめた。
 金髪の女は、持っていたハンドバッグからメンソールのタバコを取り出した。
「火を貸して下さるかしら?」
 金髪の女は、メンソールのタバコを白く細い手に挟みながら、高杉にそう尋ねた。
「ええ、どうぞ」
 高杉はそう答えると、その女にライターの火を差し出した。
 その女は、吸いこんだタバコの煙を上品に吹くと、美しい微笑を湛えながら、
「ありがとう」
と言った。
 とその時、高杉は、その女に見覚えがあると思った。
 そして次の瞬間、その女が誰であるかを思い出した。
 その女は、つい先程のマジックショーでアシスタントしていた女であった。
「あなたは、確か先程の…」
「ええ、ステファニー・アービングと申します」
「私は高杉、高杉慶介です。よろしく」
「こちらこそ」
「お待たせしました」
 バーテンダーはそう言って、ステファニーにマルガリータを出した。
「乾杯をしませんか?」
 ステファニーはグラスを持ちながらそう言った。
「ええ、いいですよ。何に乾杯しますか?」
「二人のミステリアスな出会いに、と言うのはいかがです?」
「いいですね。それでは、二人のミステリアスな出会いに!」
「二人のミステリアスな出会いに!」
 二人はグラスを口にした。
「今度は、どんなマジックを見せてくれるのかな?」
 高杉は少しし悪戯っぽくそう言った。
「ふふふっ、何にしようかしら」
「さっき、あんなことをしてくれたから、今夜は眠れそうにないよ」
「じゃあ、今夜は眠らなければいいわ」
「はははっ、それもそうだね」
 高杉がそう言いながら笑うと、ステファニーも美しい笑顔を湛えて微笑んだ。
 ピアノの甘いラプソディーとともに、二人の時間が静かに流れていった。
 やがて高杉とステファニーは、ホテルのバーを後にした。

     5

 グアム島の北西部にあるタモン湾は、夜の静寂に包まれていた。昼間は観光客で賑わうタモンビーチも今は、観光客の姿は無かった。ビーチに建ち並ぶホテルは、色採り採りにライトアップされ、ロマンチックな夜を演出していた。
 宝石を散りばめたような満天の星空が広がる静かな夜の砂浜を、肩を並べて寄り添うように歩く二つの影があった。
 その二つの影は、高杉とステファニーのものであった。寄せては返す細波の音が心地よい夜の渚を、二人は腕を組んでゆっくりと歩いていた。月明かりに照らされた白い砂浜には、二人の姿しかなかった。
 やがて二人は、砂浜に生える椰子の木にもたれかかると、熱い口づけを交わした。
 高杉はステファニーに口づけをしながら、彼女の背中にあるファスナーをゆっくりと下へ下ろし、彼女の白い花柄のワンピースを脱がせた。
 二人はお互いの服を一枚一枚脱がし合いながら一糸まとわぬ姿になると、白い砂浜の上に倒れ込んでいった。
 月明かりに照らされた白い砂浜が、二人のベッドであった。二人は砂浜の上を転がるようにして、激しく抱き合った。
 ステファニーの甘く切ない吐息が、夜の闇に溶けていった。


 どれだけの時間が流れたであろうか。高杉とステファニーは、椰子の木の根元に寄り添いながら、遠く輝く白い月を眺めていた。
 やがてタモンビーチに建ち並ぶホテルのライトアップが、次々と消えていった。
 高杉とステファニーは服を着ると、ホテルが建ち並ぶ方へと歩き始めた。
 とその時、夜の闇の中から突然、二人の男が、高杉とステファニーの前に現れた。
 高杉とステファニーは、はっとしながら、その場で立ち止まった。
 暗がりから突然現れた二人の男は拳銃を構えていた。
 二人の男は白人で、現地の人間と思われるラフな格好をしていた。
「高杉慶介だな?!」
 拳銃を構えた男の一人が、低い声でそう言った。
「いや、人違いだ」
 高杉は身構えながら、敢えて嘘を言った。高杉が嘘を言ったのは、とっさに思いついた動物的なカンによるものであった。
「嘘を言うな!」
 拳銃を構えた男の一人が、吐き捨てるようにそう言った。
 拳銃を持った二人の男は、月明かりが椰子の木で遮られた闇の中で、高杉の顔を確認すべく、拳銃を構えながら高杉の前に歩み寄ってきた。
「人違いをしておいて、謝らんとは、失礼な奴らだ」
 高杉は左隣にいたステファニーにそう言うや否や、近寄ってきた男の一人の股間を右足で思いっきり蹴り上げた。
「うおおおー!」
 股間を蹴り上げられた男は、呻き声を上げながら、その場にうずくまって倒れた。
 そして高杉は間髪をいれず、もう一人の男の顔を思いっきり殴った。
 一瞬怯んだ隙に顔を殴られた男は、後ろの方へ吹き飛ぶようにして砂浜の上に倒れた。
 高杉はその隙に、最初に倒れた男が落とした拳銃に手を伸ばした。
 だがその時、高杉は左のこめかみに、ひんやりとした冷たい感触を覚えた。
「まさか?!」
 高杉はとっさに、砂浜に落ちている拳銃へ伸ばした手を途中で止めた。
 高杉の左のこめかみに触れたものは、拳銃の銃口であった。しかも、その拳銃を突きつけているのは、つい先程まで、高杉と激しく愛し合っていたステファニーであった。
 夢にも思わない予期せぬ展開に、さすがの高杉も一瞬、唖然としてしまった。
 ステファニーはハンドバッグに、自分の拳銃を隠し持っていたのである。
「これが私のマジックよ」
 ステファニーは冷たく微笑みながらそう言った。つい先程まで、高杉と激しく愛し合っていたステファニーとはまるで別人のようであった。
 高杉は、左膝と右手を砂浜に突いた中腰のまま、ステファニーの方を見上げた。
「マジックのままなら、いいけれどもね」
 高杉は落ち着き払ったように、苦笑いしながらそう言った。しかし高杉の額には、冷や汗が流れていた。
「もはや、これまでかな…」
 高杉は観念したようにそう呟くと、ゆっくりと立ち上がろうとした。
 だが、高杉は立ち上がる瞬間、ステファニーに気づかれないように砂浜の砂を静かに掬い取ると、間髪を入れず、ステファニーの顔目掛けて、その砂を投げつけた。
「きゃっ!」
 ステファニーは顔に、砂をまともに受けて、目をつぶった。
 高杉はその隙に、拳銃を持っていた彼女の右腕を掴むと、柔道の背負い投げの要領で彼女の身体を宙に投げた。
 とその時、一発の銃声が夜の砂浜に鳴り響いた。
 高杉の顔から一瞬にして、血の気が引いた。
 まるで時間が凍り付いてしまったかのように、高杉の顔は強張った。
 だが、拳銃で撃たれたのは、ステファニーであった。
 二人の男の一人が、高杉を狙って撃った銃弾が、高杉に背負い投げをされて宙を舞っていたステファニーに当たったのである。
 ステファニーは胸から血を流して、砂の上に倒れた。
 それを見た二人の男は、血相を変えて後ずさりした。そして、逃げるようにしてその場から走り去っていった。
 高杉はステファニーが落とした拳銃を拾うと、逃げていく二人の男を狙ったが、二人は既に闇の中へと消えていた。
 高杉は砂の上に静かに横たわっているステファニーを抱きかかえて脈を取ったが、既に彼女の脈は無かった。
 高杉はステファニーの顔についた砂を優しく払いのけながら、
「一晩だけのお付き合いだったな…」
と呟いた。
 辺りは再び、夜の静寂を取り戻していた。

第五章へ続く・・・

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