∽*∽*∽*∽*∽ 秘密情報官XX プルトニウム奪回作戦 ∽*∽*∽*∽*∽


秘密情報官XX プルトニウム奪回作戦

 第五章 ミクロネシアの光と影

     1

 ホテルの寝室の開け放たれた窓から、朝の眩しい光が差し込み、窓にかかる白いレースのカーテンが、グアム島の爽やかな潮風と戯れていた。
 秘密情報官の高杉慶介は、ホテルの部屋のバスルームで熱いシャワーを浴びていた。昨日、愛の戯れの後に殺されかけた高杉は、あまり良く眠ることができなかった。高杉は、もやもやとした眠気を吹き飛ばすために、頭から熱いシャワーを思いっきり浴びていた。
 高杉はふと、シャワーが降り注ぐ音の向こう側から、ドアをノックする音がしていることに気がついた。
 高杉はシャワーを止めて、側にあったバスローブを羽織ると、脱衣所の衣類の下に隠してあった拳銃を取り出して構え、部屋の入り口のドアへと向かった。
 部屋の入り口のドアの前にたどり着いた高杉は、拳銃を構えながら、ゆっくりとドアを開けた。
 すると、ドアの外にいたのは、鳥羽翔子であった。翔子は、グアム島にある日本の在外公館に勤務する外務省の美人エリート官吏であった。
「きゃっ!」
 翔子は小さな悲鳴を上げた。高杉の部屋のドアが開くなり、突然、拳銃が目に入ったからである。
「あっ、すまない!」
 高杉は、翔子だと解ると、直ぐに拳銃を引っ込めた。
「どうしたの?」
 翔子は驚きながらそう尋ねた。
 高杉は苦笑いしながら、
「少々、神経過敏になってね。さあ、どうぞ」
と言って、翔子を部屋の中へと案内した。
「朝早く、ごめんなさい」
「いや、かまわないよ。ソファーにでもかけて」
「昨夜は遅かったのね。何度か、尋ねたのよ」
 翔子はソファーに座りながら、少し拗ねたようにそう言った。
「ごめんごめん、いろいろあってね」
 高杉はそう言いながら、煎れたてのコーヒーをカップに注ぐと、翔子に勧めた。
「さぁ、どうぞ」
「あっ、ありがとう」
 翔子は美しい笑顔を湛えてそう言うと、コーヒーを口に含んだ。
「おいしいわ」
「どれどれ…」
 高杉はそう言いながら、翔子の隣に座った。
「うん、うまい。朝のコーヒーは最高だね」
「で、昨日は成果がありまして?」
「いや、全く…」
 高杉は少々力無くそう言った。
「そう…」
 翔子も少しがっかりしながらそう言ったが、気を取り直して口を開いた。
「実は、一刻も早く慶介さんに見せたいものがあって…」
 翔子はそう言いながら、持っていたハンドバッグを開けた。
「婚姻届かな?」
「何言っているのよ、もう…」
 翔子は頬を赤く染めながらそう言った。
「はははっ」
 高杉は悪戯っぽく笑った。
 翔子がハンドバッグから取り出したものは、海底の地形図であった。
「これを見て」
「これは?!」
「海底の地形図よ。グアム島の南部からパラオ諸島の間と、グアム島の南東部からトラック諸島の間は、この通り浅瀬が続いているけれど、グアム島、パラオ諸島、トラック諸島を結ぶ三角地帯のほぼ中心にも、この通り、水深数十メートルの浅瀬が広がっているのよ」
 翔子は海底の地形図を指差しながら、熱心に説明した。高杉は翔子の真剣な表情に見とれながら聞いていた。
「しかも、この辺りはどの島からも離れていて、マリンスポーツをする人が殆どいないの。もしかしたら、この辺りにプルトニウム輸送機が沈められているかもしれないわ」
「なるほど。でも、どうやってこんな詳しい海底の地形図を手に入れたの?」
「ふふふ、グアム島の政府関係者にちょっとコネがあるのよ」
 翔子は悪戯っぽく笑った。
「すごいね」
「それほどでもないわ」
「よし、この線であたってみるか」
「ええ!!」
「ありがとう、助かったよ」
 高杉はそう言いながら、翔子の白く柔らかい頬にキスをした。
 高杉の不意のキスに、翔子は頬を赤らめた。
「朝食には、まだ早いな」
 高杉はそう言うと突然、翔子を両手で抱き上げた。そして高杉は、そのまま翔子をベッドルームへと連れていった。
「えっ?! まだ朝よ…」
 翔子は、はにかみながらそう言った。
 高杉は翔子の言葉には耳を貸さず、翔子をベッドの上に静かに下ろした。そして高杉は翔子の上に覆い被さると、翔子の唇に優しく口づけをした。
 翔子はうっとりとしなが、高杉の口づけに応えた。そして翔子は、甘い吐息を洩らしながら、両腕を高杉の背中へと回していった。
 揺らめく白いレースのカーテンから洩れる朝の光の中、高杉と翔子は強く抱き合った。

     2

 ホテルの屋外駐車場は、爽やかな潮風に包まれ、朝の眩しい光が降り注いでいた。雲一つない空は、どこまでも青く澄み渡っていた。
 高杉は白いスポーツクーペに乗り込むと、エンジンをかけた。
「今日も一人で行くの?」
 翔子はクーペのドア越しに、高杉に甘えるようにそう言った。
「ああ」
 高杉は、にこやかにそう言った。
「つまらないわ」
「遊びじゃないからね」
「それは、そうだけど…」
「あっ、そうだ。また一つ、頼みたいことがあるんだけど」
「えっ、何かしら?」
「昨夜、この近くの砂浜で、ステファニー・アービングと言うマジシャンのアシスタントが殺されていると思うんだけれど、その身元を出来る限り詳しく調べてくれないか?」
「ええ、わかったわ。でも、どうしてその事を知っているの?」
 翔子は怪訝な顔をした。
「俺は、秘密情報官だよ」
 高杉はそう言いながら、ウインクをした。
 翔子は、ステファニー・アービングと言うマジシャンのアシスタントが殺されたことを、今朝、高杉の部屋を尋ねる前に偶然、耳にして知っていたが、高杉はその事件を翔子より先に知っていたことになる。翔子は不思議そうに首を傾げた。
「じゃ、頼んだよ」
 高杉はそう言うと、白いクーペを発進させた。
 翔子は胸に手を当てて、愛しい人を見つめるように、遠ざかっていくクーペをいつまでも見送った。

     3

 果てしなく広がる青空の下、グラントの最新式大型クルーザーは、マリーナで出航の準備をしていた。
 太陽が眩しく降り注ぎ、爽やかな潮風が全身をすり抜けていくクルーザーのデッキに、高杉とグラントは佇んでいた。
「昨夜は良く眠れましたか?」
 昨夜のマジックショーでの恐怖の体験を気遣ってか、グラントは高杉にそう尋ねた。
「ええ、おかげさまで」
 高杉は愛想よくそう答えた。
「今日は、どの辺を捜索しますか?」
「ええ。実は、これを見てください」
 高杉はそう言いながら、翔子から渡された海底の地形図をアタッシュケースから取り出した。
「これは凄い物をお持ちですな」
「ええ、今朝、入手したんですよ」
 高杉は悪戯っぽくそう言うと、海底の地形図を指差しながら、説明をはじめた。
「グアム島の南部からパラオ諸島の間と、グアム島の南東部からトラック諸島の間は、この通り、浅瀬が続いていますが、グアム島、パラオ諸島、トラック諸島を結ぶ三角地帯のほぼ中心にも、この通り、水深数十メートルの浅瀬が広がっているんですよ。しかも、この辺りはどの島からも離れていて、マリンスポーツをする人は殆どいない。どうやら、ここに放射性廃棄物の不法投棄があったらしいんですが…」
「ここには無いんじゃないんですか?」
 グラントは話の腰を折るようにそう言った。
「えっ? どうしてでしょう?」
 グラントの予期せぬ反応に、高杉はそう聞き返した。
「そう、確かにここは、あまり人は来ません。それゆえ、ここは知る人ぞ知るダイビングの穴場なんですよ。私も浮世を忘れるために、しばしばこの辺りに潜っています。しかし、この辺りで放射性廃棄物なんて見たことも無いし、聞いたことも無い。もし、この辺りにそれがあるとしたら、とっくの昔に、私や他の者が見つけて大騒ぎになっていますよ」
 グラントは海底の地形図を指差しながら、自信たっぷりにそう言った。
「グラントさん、実は、放射性廃棄物の不法投棄があったと思われるのは、三日前なんですよ」
「えっ? そうなんですか! もっと前かと思っていましたよ」
「説明不足で申し訳ないです。是非、この辺りを捜索したいんですが」
「わかりました。高杉さんがそう言うのなら、そこへ行きましょう」
 グラントは妥協したようにそう言った。
 やがてグラントの白い大型クルーザーは、エメラルド・グリーンに輝く美しい海へと出航していった。

     4

 グラントの最新式大型クルーザーは、白い一筋の波を描きながら、コバルト・ブルーに輝く美しい海を雄大に航行していた。
 そしてクルーザーは、マリーナを出航して一時間程で、グアム島、パラオ諸島、トラック諸島を結ぶ三角地底の中心の海域に到着した。
 爽やかな潮風に包まれたその辺りは、三百六十度、青い水平線に囲まれた大パノラマが広がっていた。
 クルーザーがその海域を低速で巡航していると、突然、金属探知機が強力な反応を示した。
「この海域に何かありそうだな」
 金属探知機を操作していた高杉は、ニヤリとしながらそう言った。
 高杉のそばで金属探知機の反応を見ていたグラントは、
「また、昔戦争で沈んだ戦闘機や軍艦があるんじゃ、ないんですか」
と冷めたように言った。
「ええ、しかしガイガー・カウンターも微かながら反応を示しているんですよ」
「そのようだが…」
「とにかく潜ってみましょう」
「そうですね」
 グラントは決心したようにそう言った。
 高杉とグラントは早速、クルー三人とともにダイビング用のウエットスーツに着替えると、強力な金属反応があった海中へと潜っていった。
 どこまでも青く澄み渡った海の中は、海底の地形図の通り、水深数十メートル程の浅瀬が広がり、太陽の光が海底まで届いていた。
 高杉達がその海底付近を暫く泳いで行くと、少し先の海底に、何十メートルもある白く大きな人工物のような塊が、彼等の視界に入ってきた。
 その大きな人工物の塊は、海底まで届く太陽の光で、眩しいくらいに白く輝いていた。それはまるで、遥か昔、海賊が隠した宝物ではないかと思うくらいに、美しく輝いていた。
「あれは、プルトニウム輸送機では?!」
 高杉は、はやる気持ちを押さえながら、その白く大きな人工物の塊へと近づいていった。グラントと三人のクルー達も、お互いに顔を見合わせながら、高杉の後へと続いた。
 すると、そこにあったものは、ジャンボ・ジェット貨物輸送機の白く大きな機体であった。
 海底まで届く太陽の光で、美しく輝くジャンボ・ジェット貨物輸送機は、あたかも、そこに着陸したかのように、車輪を出して海底に静かに横たわっていた。その機体には、苔や錆が付着しておらず、最近沈んだものに間違いなかった。
「これは、プルトニウム輸送機に間違いない!」
 そう確信した高杉は、胸の高鳴りを覚えつつ、ジャンボ・ジェット貨物輸送機の元へ近づくと、機体に記されている機体番号を調べた。すると、その機体は紛れも無くプルトニウム輸送用のジャンボ・ジェット貨物輸送機“ブルー・パシフィック”であった。奪われたプルトニウム輸送機は、南太平洋ミクロネシアの海底にあったのである。
「遂に見つけた!」
 高杉は、全身の血が沸くような強い興奮を覚えずにはいられなかった。
「だが、待てよ。輸送機は発見できたが、まだプルトニウムを発見したわけではない!」
 高杉は、一度湧き上がった興奮を鎮めながら、輸送機の後方にある貨物用のハッチへ回り込んだ。
 すると、貨物用ハッチは開け放たれた状態になっていた。
「開いている!」
 高杉が不安な面持ちで、貨物室の中へと入って行くと、貨物室の中は、空っぽであった。プルトニウムが入ったコンテナは、跡形もなく無くなっていた。
「全て運び去られたか!」
 高杉は、やっとの思いで、輸送機を見つけ出すことができたが、肝心のプルトニウムは既に、運び去られた後であった。最初から予測していた事であったが、いざ現実を目の前にすると、やはりショックは大きかった。
 だが高杉は気をとり直すと、手がかりを探すために、広い貨物室内を調べ始めた。
 貨物室の中を調べ始めた高杉は、ふと、貨物用ハッチの外の少し先の海底で、人影らしきものが動いたのが、目に入った。
 それが気になった高杉は、貨物用ハッチから外へ出ようとした。
 だがその時、高杉は自分の左足首に、何か絡んだのに気が付いた。高杉は自分の足元に眼をやった。
 すると、グラントが高杉の左足首と、輸送機の機体のフレームとを、ロープで結んでいるではないか。
「何?!」
 高杉は、グラントの予期せぬ行動に一瞬、唖然としてしまった。だか、次の瞬間、身の危険を感じた高杉は、ロープを振り払おうとした。だが、時既に遅く、グラントはロープを結び終えていた。
 更にグラントは、高杉の右足に付いているホルダーからナイフを抜き取ると、高杉の酸素ボンベと口にくわえるレギュレーターとを結ぶエアーチューブを、そのナイフで切断してしまった。
 ナイフで切断されたエアーチューブからは、物凄い勢いで酸素が海中に噴出し始めた。そして、瞬く間に辺りは、海面に上がろうとする酸素の気泡で充満した。
 高杉はエアーチューブが切断されてしまったために、酸素が吸えなくなってしまった。高杉が窒息するのは、もはや時間の問題であった。
「まずい! このままでは死んでしまう!」
 そう思った高杉は、グラントに飛び掛かろうとした。しすし高杉は、左足首に結ばれたロープが突っ張って、離れていくグラントに飛び掛かることができなかった。
 高杉は必死になってロープを解こうとしたが、ロープは特殊な金具で結ばれていたため、全く解くことができなかった。
 グラントはそんな高杉の姿を、冷たく微笑みながら眺めていた。
 そしてグラントとクルー三人は、必死にロープを解こうとする高杉に、手を振りながら、海面へと上昇して行ってしまった。
「アンドリュー・グラントは、秘密情報官の会議の資料にあった通り、クロだったのだ! グラントは、プルトニウムを奪った犯罪組織ブラック・シャドーの一味に違いない! だからさっき、この海域での捜索に否定的だったのだ! 昨夜のステファニー・アービングもその一味に違いない!」
 高杉は一瞬にして、そう悟った。だが今は、そんなことを考えている場合ではない。一刻も早く左足首に結びつけられたロープを解かなければならない。
 高杉は酸素が吸えないまま、左足首に結ばれたロープを何とか解こうとした。しかし、特殊な金具で結ばれたロープは、どうやっても解くことができなかった。
 やがて、呼吸ができない高杉は、次第に苦しみ、もがき始めた。そして高杉の意識は、段々と、遠のき始めた。
「もう、だめだ…」
 高杉は右手で宙を掴むように、大きくもだえたかと思うと、遂に動かなくなってしまった。
 マネキン人形のように動かなくなってしまった高杉の身体は、海中をフワフワと漂うだけとなってしまった。
 とその時、高杉のもとに、一人のダイバーが近づいてきた。
 そのダイバーは、二十歳代後半の白人女で、自分の酸素ボンベから伸びた二本のレギュレーターのうちの一本を、高杉の口にくわえさせた。
 そしてその女は、まばゆいばかりの金髪を海中に靡かせながら、自分が持っていた大型ナイフで、高杉の左足首に結ばれたロープを切った。
 そして彼女は高杉を抱きかかえると、輸送機から少し離れた海底に隠してあった水中スクーターに高杉を乗せて、その場を離れていった。
 彼女は輸送機が沈んでいた海域からやや離れたところで、海面に浮上した。
 そこにはモーターボートが静かに波に揺られていた。彼女はそのモーターボートに高杉を引き上げると、高杉を仰向けに寝かせ、マウス・トゥ・マウスの人工呼吸を始めた。
 暫くして、高杉は目を開けた。
 と同時に、高杉は両腕で彼女を抱き寄せて半回転し、彼女を仰向けにしてモーターボートの底に押さえつけると、彼女の唇に強く口づけをした。
「えっ?!」
 彼女は突然の成り行きに、何がなんだかわからなくなってしまった。
 高杉は強く口づけをした後、彼女の唇から自分の唇を放すと、
「助けてくれて、ありがとう」
と悪戯っぽく笑いながらそう言った。
「…?」
 白人の女は、大きな美しい瞳をきょとんとさせた。彼女は目の前の状況が飲み込めず、言葉が出なかったのである。
 高杉はその女の上からどくと、手の平に隠してあった万年筆ほどの大きさの細長いカプセルを見せた。
「これは最新式の超小型ボンベで、ここの歯の跡がついているところを強く噛むと、二十分は酸素が出る仕組みになっているんだ」
「何よ! 大丈夫だったの?!」
 その女は上体を起こしながら、少し、ムッとしたようにそう言った。
「いやいや、さっき海底で、人影が動いたのが見えたから、それを確かめようと思ってね。でも、ロープが解けなくて困っていたのは本当だよ。助けてくれて、ありがとう」
「……」
 その女はまだ怒っている様子で、口をきこうとしなかった。高杉はそれには構わず、話を続けた。
「自己紹介が遅れたけど、俺は…」
「高杉慶介でしょ!」
「えっ?!」
 高杉は一度もあった事が無いその女が、自分の名前を知っていることに驚いた。彼女は更に、
「日本の内閣官房・内閣情報調査室の秘密情報官。コードネームは“XX”(ダブルエックス)」
と高杉の身分をあっさりと言ってのけた。
「どうしてそれを?」
「私はアメリカ中央情報局のキャサリン・フォード」
「CIAの諜報員か!」
 高杉は納得したようにそう言った。
「で、どうしてCIAの諜報員がこんなところに?」
「ふふふ、日本の情報はこちらに筒抜けよ。面白いくらいに…」
 キャサリンは、初めて微笑んだ。
「それじゃあ…、もしかして…」
「そう、プルトニウムが奪われたこともね」
「恐ろしいね」
「日本から奪われたプルトニウムが、アメリカへのテロ行為に使われないように、未然に情報活動をしていたのよ」
「それで俺の跡をつけてきた…」
「そうよ。まさかグラントに協力を依頼するとは思わなかったわ。うちの情報では、彼はクロよ」
「はははっ、それはこっちも承知の上でだよ」
「そうなの?!」
「虎穴に入らずんば、虎子を得ず!」
「なるほどね」
「どうだろう、ここは共同戦線を結ばないか?」
「どうしようかしら…」
 キャサリンは、もったいぶったように、悪戯っぽく微笑んだ。
「俺では、役不足かな?」
 高杉は自分の顔を、キャサリンの顔に近づけた。
「なかなかのプレイボーイさんね」
「プレイボーイは嫌いかな?」
「いいえ、とても魅力的だわ」
 キャサリンがそう言い終わると同時に、高杉はキャサリンの唇に口づけをした。
 キャサリンは抵抗することもなく、高杉の口づけに甘く答えた。
 二人は、お互いの唇を吸い合うように、熱い口づけを交わした。高杉はキスをしながら、キャサリンをモーターボートの底へ、ゆっくりと押し倒していった。
 波の穏やかな海面は、太陽の眩しい光を反射して、キラキラと輝いていた。コバルト・ブルーに輝く美しい海に浮かぶモーターボートの中で、二人は強く抱きしめ合った。
 果てしなく広がる青空の下、二人の身体を包むのは、爽やかな潮風だけであった。

     5

 グアム島にある日本の在外公館の資料室では、鳥羽翔子が一人で黙々と、コンピューターの端末機を操作していた。資料が山積みになったその資料室には、翔子が叩くキーボードの小気味良い音だけが響いていた。
 グラントのホテルで行われているマジックショーのアシスタントで、昨夜、砂浜で殺されたステファニー・アービングの正体を調べるよう、高杉に頼まれていた翔子は、朝から何時間もぶっ通しで、端末機のディスプレイを見ていた。
 翔子は、ディスプレイを見つづけて痛くなった目頭を、たまに指で揉みながら、高杉のために懸命になって、人物のデータファイルを検索していた。
 その資料室の窓にあるブラインドから差し込む太陽の光は、次第に西へと傾き始めていた。
「これは?!」
 翔子は、突然キーボートを叩いていた手を止めると、そう叫んだ。
 ディスプレイには、昨夜殺されたステファニー・アービングにそっくりの顔写真が映し出されていた。
 しかし、氏名等は全くの別人であった。ディスプレイに表示されているデータは、
「氏名、ナターシャ・タルコフスキー、
 KGB(旧ソ連、国家公安委員会)諜報員、
 ミクロネシア担当、
 旧ソ連崩壊後、消息不明」
となっていた。
 だが、年齢、身長等の身体的特徴は、ステファニー・アービングとほぼ完全に一致していた。
「グラントのホテルで行われていたマジックショーのアシスタントであるステファニー・アービングと、元KGBの諜報員ナターシャ・タルコフスキーは、同一人物に違いないわ! だとしたら、彼女とグラントとの繋がりは?」
 翔子はそう考えるや否や、脳裏に嫌な予感がよぎった。
「慶介さんに一刻も早く、このことを知らせないと!」
 翔子はそう思いながら、腕時計に目をやった。
「今から行けば、慶介さんがマリーナに戻ってくる時間に間に合うわ!」
 翔子はステファニー・アービングと同一人物と思われるデータをプリントアウトすると、急いで、資料室を後にした。
 翔子はタクシーで、グラントのクルーザーが繋留されるマリーナへと急いだ。


 青く澄み渡った空は、次第にオレンジ色へと変わり始めていた。爽やかな潮風に包まれたマリーナは、間もなく夕暮れ時を迎えようとしていた。
 翔子を乗せたタクシーがマリーナに到着すると、グラントのクルーザーは丁度、ロープで繋がれていたところであった。
 翔子は急いでタクシーから降りると、桟橋にいたグラントに走り寄った。
「グラントさん!」
 翔子は息を切らせながら、グラントに声をかけた。
「おう、これはミス翔子!」
「高杉さんは?」
「高杉さんなら、一足先に帰りましたよ。途中で会いませんでしたか?」
 グラントは何気なく、そう言った。
「ええ…」
「でしたら多分、行き違いになったのでしょう」
「そうですか…」
 翔子は落胆しながらそう言った。
「それでは、急いでいますので、これで失礼します」
 翔子がそう言って半信半疑のまま引き返そうとした時、ある物が翔子の目にとまった。
 それは、クルーザーのクルーの一人が、高杉が今朝着ていたシャツとスラックスを丸めて持っていたのである。
 だがその時、グラントは、翔子の視線が高杉のシャツとスラックスに注がれたのを見逃さなかった。
 グラントは突然、翔子の腕を掴んで引き寄せると、翔子の腹部に隠し持っていた拳銃を突き付けた。
「声を出すな!」
 グラントは、今までの穏やかで紳士的な態度とは打って変わって、厳しい口調で翔子にそう言った。
 翔子は突然の成り行きに声が出なかった。
「高杉君のことが心配かね? 知りたければ、おとなしくついて来るんだ」
 グラントにそう言われた翔子は、ただ黙って頷くしかなかった。
 私は殺されてしまうかもしれない?! まさか、慶介さんは…? 翔子の脳裏に絶望感がよぎった。
 翔子の美しい顔は、恐怖で蒼白となった。

     6

 グアム島から南へ飛行機で約一時間、エメラルド・グリーンに輝く美しい海に、大小二百余りの島々が浮かぶパラオ諸島が広がっていた。パラオ諸島の正式な国名は、ベラウ共和国である。
 美しい珊瑚礁と抜群の透明度を誇る海に囲まれたパラオ諸島の島々は、今は夜の闇と静寂に包まれていた。
 波も殆ど無く、静かな海の上には、満点の星空が広がり、煌く星々は、宝石をちりばめたように美しく輝いていた。
 秘密情報官の高杉慶介とCIAの諜報員キャサリン・フォードは、黒いダイビング用のウエットスーツに身を包み、全長三十メートル程の小さな島に、モーターボートを横付けして、息を殺して潜んでいた。
 キャサリンの情報によると、グラントは今夜、パラオ諸島沖で旧ソ連将校から、弾頭が付いていない未完成の空ミサイル(からミサイル)を入手するという事であった。
 グラントはその空ミサイルに、日本から奪ったプルトニウムを装填し、核ミサイルを作るのに違いないと、高杉とキャサリンは考えていた。
 夜も更けたころ、一隻の中型貨物船が、パラオ諸島沖に姿を現した。その中型貨物船は、高杉とキャサリンが潜んでいるところから、二百メートルほど離れたところで、静かに停止した。貨物船は、明かりを殆ど消しており、甲板は真っ暗であった。
「貨物船が来たわよ」
 暗闇の中でも遠くを見ることができる赤外線望遠鏡を覗いていたキャサリンは、高杉にそう囁きながら、赤外線望遠鏡を渡した。
 高杉は、キャサリンから渡された赤外線望遠鏡を覗きこんで貨物船を確認した。
 その貨物船は、かなり老朽化が進んでおり、船体には、船の名前がロシア語で書かれてあった。
「あれに間違いないな」
「ええ!」
「よし、行くか」
 高杉はキャサリンにそう囁くと、酸素ボンベを背負ってレギュレーターを口にくわえた。そしてゴーグルをして、小さな防水バッグを持つと、暗闇に黒く染まった海へと静かに潜って行った。キャサリンも同様にして高杉の後に続いた。
 二人は海面に頭だけを出しながら、二百メートルほど先の海に停止している貨物船へと、静かに近づいていった。
 高杉とキャサリンが、貨物船の手前百メートルほどの所まで近づいた時、突然、ヘリコプター三機が轟音を轟かせて、二人の背後から低空で接近してきた。
 しまった! 気づかれたか?! 海面に頭だけを出していた高杉は、心の中でそう叫んだ。
同じく海面に頭だけを出していたキャサリンも、不安そうな面持ちで高杉の顔を見つめた。
 だが、そのヘリコプター三機は、高杉とキャサリンに気づいた様子もなく、二人の頭上を通過し、貨物船の方へと近づいていった。
 高杉とキャサリンは、お互いに顔を見合わせながら、胸を撫で下ろした。
 そして気をとり直した二人は、再び貨物船へと近づいていった。
 高杉とキャサリンの頭上を通り過ぎて行ったヘリコプター三機は、先頭の一機が普通の乗用ヘリコプターで、後ろの二機が大型の貨物用ヘリコプターであった。
 そのヘリコプター三機は、貨物船の上空付近に到着すると、先頭にいた乗用ヘリコプターがサーチライトを点滅させた。それに呼応するように、貨物船も上空にいるヘリコプターに向けてサーチライトを点滅させ、お互いに相手を確認しあった。
 すると、先程まで真っ暗であった貨物船の甲板に明かりが灯り、貨物船上にいた十人ほどの船員達が慌しく動き始めた。彼等が口にしている言語はロシア語であった。
 貨物船の元にたどり着いた高杉は、酸素ボンベやゴーグルをキャサリンに預け、船員がいない貨物船の船尾にロープを投げ込むと、それを伝って、貨物船内に忍び込んで行った。キャサリンは、貨物船の近くの海面に頭だけを出して、静かに高杉の行動を見守った。
 貨物船の上空を旋回していた大型の貨物用ヘリコプター二機のうちの一機が、貨物船の甲板の上に着地した。すると、貨物船の甲板に積み上げられていた木製の細長い大きなコンテナが、その貨物用ヘリコプターへと次々に積みこまれていった。
 その木製の細長い大きなコンテナは、長さが五メートル以上もあり、小型長距離ミサイルを梱包するのに十分な大きさであった。コンテナの側面には、黒いスプレー塗料で文字や刻印が雑に消されていた。
 あのコンテナには、ミサイルが入っているに違いない! 貨物船の物陰からその様子を伺っていた高杉は、そう確信した。
 貨物用ヘリコプターが、コンテナを積み終えて貨物船上を離れようとした時、高杉は持っていた防水バッグから、口径が大きい特殊な銃を取り出すと、その貨物用ヘリコプターの底目掛けて、その銃を発射した。
 小さく鈍い音とともに発射された弾は、ヘリコプターの底に当たるとガムのようにベッタリと付着した。高杉は二機目のヘリコプターにも同様のことをした。
 コンテナを無事積み終えた貨物用ヘリコプター二機と乗用ヘリコプター一機は、貨物船の上空へ舞いあがると、再び闇の中へと消えていった。
 高杉はそれを見届けると、特殊な銃を防水バッグのなかにしまい込み、貨物船に投げ込んだロープを、後から外しやすいように掛け直した。
 だがその時、高杉の存在に気が付いた船員の一人が、高杉の背後に忍び寄ってきた。その船員は、体格のがっちりとした男で、身長が二メートルはあると思われる大男であった。その男は、背後から高杉の後頭部を両手で思いっきり殴った。
「うおおっ!」
 高杉は小さな呻き声を上げて、甲板に倒れた。
 高杉は一瞬、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。だが次の瞬間、自分が襲われたことに気がついた高杉は、後頭部の痛みを堪えながら、襲ってきた男の脛を下から思いっきり蹴り上げ、その男を甲板の上に倒した。
 高杉はその隙に起き上がったが、その男も直ぐに起き上がると、再び高杉に殴りかかってきた。
 二人は激しい殴り合いになったが、がっしりとした体格の男と、スマートな身体つきの高杉とでは、力の差は歴然であった。
 やがてその男は、高杉を甲板の欄干に押さえつけ、両手で高杉の首を絞めつけた。
 高杉は背中を海に向け、のけぞった格好となり、今にも海に突き落とされそうな姿勢で首を絞めつけられていた。
 息ができない! こまままでは遣られてしまう! そう思った高杉は、全身の力を振り絞り、手薄になった男の脇腹を両手で挟み込むようにして思いっきり殴った。
「うおおっ!」
 その男は小さな呻き声を上げて、高杉の首を絞めていた両手を弛めた。
 高杉はその隙に、首を絞めていたその男の両手を振り払うと、自分の防水バッグとロープの先端を急いで拾った。そして高杉は、自分の全体重をかけてその男に体当たりをして行った。
 高杉がその男に思いっきり体当たりをすると、二人はその勢いで欄干を乗り越え、真逆様に海へと落ちていった。
 高杉と身体の大きな男が海面に落下した瞬間、大きな水音がしたと同時に、勢い良く水しぶきが上がり、海面に大きな波紋が広がった。
「何事だ?!」
 海に何か落ちた音に気が付いた貨物船の船長と船員達は、銃を持って船尾へと走り寄ってきた。
 貨物船の船長は、大きな波紋が広がっている海面を覗きこんだ。
「あそこだ! 海面を撃ちまくれ!」
 船長は船員達に銃を撃つように命じた。
 大きな波紋が広がった海面にサーチライトが当てられ、そこへ船員達が一斉に銃弾の雨を降らせた。物凄い銃声が次々と鳴り響き、夜の静寂を破った。
 暫くすると、サーチライトが当てられた海面に、一人の死体が浮かび上がってきた。
「ようし、もういい!」
 船長は船員達に銃の乱射をやめさせた。
「あの死体を引き上げろ!」
 船長がそう命じると、甲板にいた船員のうちの二人が、ロープを海面に投げ下ろし、それを伝って海面まで降りると、海面に浮かび上がった一人の死体を甲板まで引き上げた。
 貨物船の甲板の上まで引き上げられた死体は、高杉ではなく、高杉を襲った身体の大きな男の方であった。
「何だ! うちの船員じゃないか! 他に死体はないか?!」
 船長は、ロープを伝って再び海面に降りていた船員にそう怒鳴った。
「何もありません!」
 海面に降りていた船員は、甲板の上の船長にそう答えた。
「畜生め! こいつが海に落ちただけか!」
 船長は、引き上げられた船員の死体を睨み付けながら、地団駄を踏んだ。
 船員達はサーチライトを使って貨物船の回りの海を暫く捜索したが、他に怪しい物陰を見つけ出すことができなかった。
「ようし、もういい。引き上げるぞ!」
 他に異常が無いと判断した船長は、貨物船を帰路につかせた。
 やがて貨物船は、夜の闇の中へと静かに消えていった。


 貨物船から海に落ちた高杉は、海に落ちると直ぐに、貨物船の反対側の海中に回りこみ、そこで待っていたキャサリンから酸素ボンベとゴーグルを受け取り、レギュレーターを口にくわえると、キャサリンとともに隠してあったモーターボートへと引き返していたのであった。
「大丈夫?」
 モーターボートに上がるなり、キャサリンは高杉の左腕を見てそう言った。
 高杉が着ているウエットスーツの左上腕部が、縦に破れており、そこから血が滲んでいた。
「ああ、これか? 大したこと無いよ。甲板から海に落ちるときに、ちょっと掠っただけだよ」
 高杉はキャサリンに微笑みながらそう言った。
「えっ、駄目よ。ちょっと見せて!」
 キャサリンはそう言うと、高杉のウエットスーツの上半身を脱がした。そしてキャサリンは、高杉の左上腕部の傷口をそっと口に含んだ。
 高杉は自分の傷口を口に含むキャサリンの顔を黙ったまま見つめた。
「傷口は、浅いようね」
 キャサリンはそう言うと、持っていたイタリア製の赤いスカーフを包帯代わりにして、高杉の傷口に巻いた。
「これでいいわ」
「ありがとう」
 高杉はそう言うと、キャサリンの唇に優しく口づけをした。キャサリンもそれに応えた。
 そして高杉は、キャサリンの肩に腕を回すと、モーターボートの底へゆっくりと押し倒していった。
「うっ!」
 高杉は突然、呻き声をあげた。
 高杉の傷口がモーターボートの縁に当たったのである。
「無理しなくても…いいのよ…」
 キャサリンは高杉の耳元で、甘く囁いた。
「大丈夫だよ」
 高杉はウインクしながらそう言うと、改めてキャサリンの唇に優しく口づけをした。
 先程の嵐のような銃声が嘘のように、辺りの海は、夜の静寂を取り戻していた。
 二人が乗ったモーターボートは、穏やかな波に静かに揺れていた。

第六章へ続く・・・

秘密情報官XX プルトニウム奪回作戦


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