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秘密情報官XX プルトニウム奪回作戦

 第三章 南太平洋は熱く

     1

 どこまでも続く青い空、エメラルド・グリーンに輝く美しい海、白い砂浜には眩しい日差しが降り注ぎ、爽やかな潮風が椰子の葉をすり抜ける、そんな常夏の島、グアム島のグアム国際空港に、秘密情報官の高杉慶介は降り立った。
 グアム島は北緯十三度、東経百四十四度に位置するアメリカ領の島の一つで、その昔、マゼランが世界一周の航海の途中で、偶然に発見した島である。日本から飛行機で約三時間、時差も殆ど無く、スキューバ・ダイビングやヨットなどのマリンスポーツも楽しめるグアム島は、日本でも人気のあるリゾート・アイランドの一つである。
 こんな平和なトロピカル・アイランドに、果たしてプルトニウムがあるのだろうか? カーキ色のソフトスーツに身を包んだ高杉はそう思いながら、世界中から集まった観光客で賑わう空港のロビーから外に出ると、タクシー乗り場へと向かった。
 空港の外は、眩しい太陽の日差しが降り注ぎ、雲一つ無い青空が広がっていた。
 高杉がタクシー乗り場につくと、数台のタクシーが列を作って乗客を待っていた。高杉は一番先頭のタクシーに歩み寄った。
 とその時、一人の日本人の女が、長い髪の毛を靡かせながら、小走りに高杉の元へ走り寄ってきた。
 その女は、二十五歳前後で背が高く、水色のスーツが似合う色白の美しい女であった。
「高杉さんですか?」
 その美しい女は、少し息を切らせながら、高杉にそう尋ねた。
「そうですが……」
 高杉は見覚えの無い女に呼び止められ、怪訝そうな顔でそう言った。
「私は…」
 その女は持っていたハンドバッグから、何かを取り出そうとした。
 まさか、拳銃を取り出す気か?! 瞬時にそう思った高杉は、反射的にハンドバッグに入れられた女の右手首を掴むと、一捻りさせて、女の背中に回し、、その女を動けないように押さえつけた。
「えっ?!」
 その美しい女は小さな呻き声を上げて、右手に持っていたものを地面に落とした。
 一瞬、周囲に居合わせた観光客達は、二人を注視した。
 だか、その女が地面に落としたものは、拳銃ではなく、赤い皮製のパスケースであった。
 高杉は女の右手首を押さえつけたまま、地面に落ちたパスケースを拾い、中身を検めた。
 そのパスケースの中には、写真付の身分証明書が入っていた。その身分証明書を見た高杉は、すぐさま、掴んでいた女の右手首を放した。
「外務省の方ですか!失礼しました」
 高杉は、すまなそうにそう言いながら、日本の外務省の身分証明書を女に返した。
「いえ、私のほうこそ」
 女は身分証明書を受け取りながら、微笑んだ。
 その女は、高杉の今の行動にはあまり動揺していない様子であった。周囲に居て、二人のやり取りを見ていた観光客達は、何事も無いと解ると、その場から離れていった。
「申し遅れてすいません。私はグアム島にあります日本の在外公館に勤務しております鳥羽翔子と申します。在外公使に言いつかって、お迎えに参りました」
「そうですか。ありがとうございます」
「いいえ」
「では早速、在外公使にご面会を」
「はい。では、私の車でご案内しますわ」
 その時、二人のやり取りに、痺れを切らしたタクシーの運転手は、クラクションを鳴らした。
「あんたら、乗るの? 乗らないの?」
 タクシーの運転手はそう怒鳴った。
「すまないが、急用ができた」
 高杉は流暢な英語でそう言うと、タクシーの運転者にチップを渡した。


 日本の在外公館に勤務する鳥羽翔子は、高杉を空港の駐車場に案内した。
「さあ、どうぞ」
 翔子が高杉に案内した車は、日本製の赤いオープンのスポーツクーペであった。排気量2500CC、水冷直列6気筒、ツインカム・ツインターボ・エンジンを搭載したそのスポーツクーペは、最高出力280馬力を発生し、それはまさにスポーティーな走りを楽しむためのグランド・ツーリングカーであった。
 迎えに来ている車は、てっきり黒塗りのセダンだと思い込んでいた高杉は、度肝を抜かれた。こんな美しい女性が、こんなスポーツカーに乗っているとは!
「すごい車に乗っているね」
 高杉は感嘆しながらそう言った。
「速くて最高よ」
 翔子は悪戯っぽく微笑んだ。
「お手柔らかに頼みますよ」
「お任せになって」
 翔子は得意そうにそう言うと、高杉を助手席に乗せ、赤いオープンカーを発進させた。
 翔子の運転するオープンカーは、空港から市街地へと続く街道を軽快に走り抜けていった。街道の両側には、椰子の木が立ち並び、沿道には南国の色とりどりの花々が咲き乱れていた。オープンカーの中をすり抜けていく風は、翔子の長い髪の毛を美しく靡かせていた。
 高杉は、赤いスポーツクーペを軽やかに操る翔子を、凛々しく美しいと思った。高杉はそんな翔子の姿を横から暫く眺めていた。
「どうかしまして?」
 高杉の視線に気が付いた翔子は、そう尋ねた。
「かっこいいね」
 翔子の言葉にふと我に返った高杉は、思っていたままを素直に言った。
「いい車でしょう」
「いやいや、君のことだよ」
 思いもよらぬ誉め言葉に、翔子は頬を少し赤らめた。
 高杉は、誉め言葉に頬を少し赤らめた翔子を可愛く思った。
 椰子の葉の木洩れ日眩しい街道を、二人を乗せた赤いオープンカーは、軽やかに走っていった。

     2

「遠いところをご苦労様です。在外公使の柴本です」
 五十歳前後で人柄温厚そうな在外公使の柴本は、執務室に案内されてきた高杉慶介を出迎えながら、にこやかにそう言った。
「わざわざお出迎え、ありがとうございました」
 高杉は恭しくそう言った。
「いえいえ。まあ、おかけ下さい」
 在外公使の柴本は、高杉を応接セットの長椅子に案内した。
 高杉が長椅子に腰掛けると、鳥羽翔子がノックして執務室に入ってきた。
「アイスコーヒーをどうぞ」
 翔子は高杉に、運んできたアイスコーヒーを勧めた。
「どうも」
 高杉はそう言うと、アイスコーヒーを一口、口に含んだ。
「既に自己紹介は済んでいると思いますが、こちらは私の片腕になってくれている鳥羽翔子君です。彼女はバリバリのキャリア・ウーマンで、私はいつも、やりくまれていますよ」
 在外公使の柴本はそう言いながら、悪戯っぽく笑った。
「いやですわ、公使ったら」
 翔子は照れながらそう言った。そして、
「私は席を外しましょうか?」
と気を使ってそう言った。
「いや、ここに居てくれ」
 在外公使の柴本はそう言うと、今までとは違って、真剣な表情で話を切り出した。
「東京から極秘連絡を受けています。秘密情報官に全面的に協力するようにと。それから東京からの小包を三つ預かっています」
 柴本はそう言いながら、執務室の隅に置いてある大きな三つの小包を指さした。
「プルトニウムが奪われたそうですな。もし、このグアム島やその周辺にプルトニウム輸送機が隠されているとしたら、きっと海の中でしょう」
「やはり、海の中だと思いますか…」
 高杉は考え込むようにそう言った。
「グアム島には国際空港以外に、ジャンボ・ジェット貨物輸送機が着陸できるところはありません。もし国際空港に着陸すれば、直ぐに、ばれてしまいますからね」
 高杉の表情が険しくなった。高杉もそう考えていたからである。
 プルトニウムやその輸送機が、広大な海に隠されているとしたら、極秘裏の捜索は極めて困難であった。もし、大々的に捜索をはじめれば、プルトニウムが奪われたことがマスコミを通じて世界中に知られてしまう。そんなことにでもなったら、世界中がパニックになってしまうからである。
 高杉は、一息置いて、
「ところで、実業家のアンドリュー・グラントという男をご存知ですか?」
と在外公使の柴本に尋ねた。
「ええ、存じております。アンドリュー・グラント氏は、グアム島の名士でして、観光や海運等の事業を手広くやっています。彼は日本に対して友好的でして、なかなかの人物ですよ。彼が何か?」
 高杉は曖昧な返事をしながら話を続けた。
「ええ。で、そのグラント氏にうまく会うことはできますか?」
「それでしたら、鳥羽君に案内させましょう。先週、グラント氏のところで行われたパーティーに鳥羽君も出席していますから、面識はありますので。鳥羽君、頼んだよ」
「かしこまりました」
 翔子は、にこやかにそう言った。
「よろしく」
 高杉は翔子に向き直ってそう言った。
「はい」
 翔子は高杉に爽やかな笑顔を返した。
 高杉は早速、自分が宿泊するホテルのチェックインを済ませ、翔子の案内でグラント邸へと向かった。

     3

 アンドリュー・グラントの邸宅は、グアム島南部の海に面した小高い丘の上にあった。広い敷地には、椰子の木がいたる所に生え、南国の色鮮やかな花々が爽やかな潮風と戯れていた。大理石でできた建物は、スペイン統治時代を思わせる歴史的な趣があり、アンドリュー・グラントの豊かな経済力を物語っていた。
「私はアンドリュー・グラントの秘書を務めておりますジョン・ハワードです。どうぞこちらへ」
 高杉と翔子は、出迎えた秘書のハワードに、敷地内の中庭にあるプールサイドに案内された。
「グラントは間もなく参ります。こちらにおかけになって、暫くお待ち下さい」
 五十歳を少しまわった痩せ型のハワードは、高杉と翔子をプールサイドにある大きな白い円卓へと案内した。その円卓の中央には、白い大きなパラソルが刺してあり、グアムの眩しい日差しを遮っていた。
 楕円形をしたプールは、長いところで十五メートルはある大きなもので、水面は太陽の日差しを浴びてキラキラと輝いていた。
「お待たせしました」
 上品な柄の綿のシャツと麻のスラックスに身をまとった四十歳前後の上品な紳士が、そう言いながら現れた。
高杉と翔子は、椅子から立ち上がって、そのな男を迎えた。
「ミス翔子、良くいらっしゃいました」
 グラントはにこやかにそう言うと、翔子の手の甲にキスをした。
「お忙しいところを突然、お伺いして申し訳ありません」
 翔子は英語で恐縮そうにそう言った。
「いやいや、忙しいだなんて。あなたのような美しいご婦人でしたら、いつでも大歓迎ですよ」
 グラントは言葉通り、笑顔で翔子を歓迎していた。
 高杉の目には、グラントが翔子に対して、少なからず好意を抱いているように映った。
「ミスター・グラント、こちらは東京からこられましたミスター高杉です」
 翔子はそう言って、グラントに高杉を紹介した。
「日本の内閣情報調査室の高杉です」
 高杉もまた流暢な英語でそう言った。高杉はあえて、自分の身分を偽らずに正直に言った。
「アンドリュー・グラントです」
「お噂は、かねがね伺っております」
 高杉はそう言いながら、グラントと握手を交わした。
「いやいや、お恥ずかしいですな。まあどうぞ、おかけになって下さい。で、日本の内閣情報調査室の方が何か?」
 グラントは怪訝そうな顔をしながら、高杉にそう尋ねた。
「実はグアム島の沖合いで、日本のある企業が放射性廃棄物の不法投棄をしたという情報を入手しました。つきましては、その調査にご協力をお願いしたいと思いまして、お伺いしました」
 高杉はプルトニウムが奪われたことについては、あえて触れなかった。機密漏洩を防ぐため、嘘をついたのである。
「放射性廃棄物の不法投棄ですか? でしたら私のところではなく、政府を通じて正式に調査をされたら如何でしょう」
「いえいえ、このことは決定的な証拠もまだ無く、マスコミへの発表もされていません。もし、放射性廃棄物の不法投棄が事実だとしたら、自然環境問題だけではなく、政治的な国際問題になり兼ねません。ましてや、不法投棄したのが日本の企業だとしたら、然るべき行政措置をとらなければなりません。ですから、事実がはっきりとするまでは、内密に調査したいと思いまして、グアム島の実力者であるミスター・グラントにご協力をお願いにあがりました」
「そうですか…」
 グラントはそう言って、考え込み始めた。
 それを見た高杉は、更にグラントに話を続けた。
「ミスター・グラント、あなたはグアム島で様々な事業をなされ、数々の成功を収めていると伺っております。もしこの不法投棄が事実だとしたら、マリンスポーツなどの観光事業に少なからず悪影響を及ぼすかもしれません。その影響を最小限するためにも、早めに手を打たれた方が、よろしいかと思います」
 高杉は少し脅すかのようにそう言った。するとグラントは口を開いた。
「そうですな。それが事実だとしたら、私の観光事業に悪影響が出るかもしれませんな。分かりました。日本には日頃からお世話になっておりますし、調査にご協力しましょう」
 グラントは決心したようにそう言った。
「ありがとうございます」
 高杉は明るくそう言った。
「明朝九時に、この丘の下にありますマリーナにお越し下さい。私のクルーザーを出しますので」
「感謝しますわ、ミスター・グラント」
 高杉とグラントのやり取りを黙って聞いていた翔子もグラントにそう礼を言った。
「いえいえ、私もお役に立てて光栄ですよ」
 グラントはにこやかにそう言った。
 グラントの落ち着いた物腰には、数々の成功を収めてきた実業家としての貫禄が溢れていた。

     4

 オープンカーに乗った高杉慶介と鳥羽翔子は、グラントの快諾に意気揚揚と、潮風に包まれた海岸沿いの道を飛ばした。
 二人が走っている海岸沿いの道は、観光地から外れており、人影や行き交う車は殆ど無かった。
「爽やかな天気だね」
 高杉はどこまでも青く澄み渡る空を見上げながら、そう言った。
「グアムは、いつもこうよ」
 翔子はハンドルを握りながら、にこやかにそう言った。
「はははっ、そうか」
 高杉にとって、太陽のまぶしい日差しの中を切る風がとても気持ち良かった。
 とその時、突然、一発の銃声が鳴り響いた。と同時に、二人が乗っているオープンカーのフロントガラスに、銃痕ができ、次々と銃声が響き出した。
 高杉が身を伏せながら後ろを振り返ると、黒いセダンが猛烈なスピードで高杉と翔子が乗ったオープンカーを追いかけてきていた。そしてその黒いセダンの助手席と後部座席の右側の窓から、二人の男が上半身を乗り出し、高杉と翔子が乗ったオープンカーに拳銃を撃ちまくっていた。
「我々を歓迎しない輩がいるようだな…」
 高杉は身を伏せながらそう呟いた。
「運転を交代する! 車をその先の機の影に止めるんだ!」
「ええ、分かったわ!」
 翔子は突然の成り行きに少し動揺しながらも、高杉に言われたとおり、道の脇にある椰子の木の木陰にオープンカーを急停車させた。
 高杉は翔子を助手席に移らせながら、後部座席を伝って運転席に滑り込むとオープンカーを急発進させた。
「ダッシュボードに両手を突いて、身を伏せて!」
「ええ!」
 助手席の翔子はそう返事をすると、ダッシュボードに両腕を突いて身を伏せた。
 高杉は雨のように降り注ぐ銃弾をかわすように、オープンカーをジグザグに走らせながら、道路から砂浜の方へと走らせた。
 高杉が運転する赤いオープンカーと追っ手の黒いセダンは、白い砂浜の波打ち際を高速で走り、大きな水しぶきを次々と上げて、猛烈なカーチェイスをはじめた。
 先程まで細波の静かな波音に包まれていた白い砂浜は、今は二台の車の唸るようなエンジン音に撒き散らされていた。
 砂地にタイヤが食い込んで思うように走れないと悟った高杉は、オープンカーを椰子の木が生い茂る林へと走らせた。
 高杉はオープンカーを、木々の間を縫うように走らせたが、追っ手からの銃弾は絶え間無く降り注がれ、テールレンズは割れ、赤いボディーに次々と銃痕ができていった。
 助手席の翔子は、オープンカーのボディーに銃弾が当たる度に、小さな悲鳴を洩らしたが、取り乱すことなくダッシュボードに両腕を突いて、必死に恐怖を堪えた。
 高杉はハンドルを握りながら、そんな翔子の度胸に感心した。
 高杉はハンドルを巧みに操りながら、椰子の木をかいくぐり、オープンカーを走らせたが、遂に、二人の乗ったオープンカーの後輪が撃ち抜かれてしまった。
 銃弾によって撃ちぬかれたタイヤは、轟音とともにパンクしてしまった。
「タイヤが撃たれた!」
「えっ?!」
「ハンドルが効かないから、しっかり掴まって!」
「ええ!」
 タイヤが撃たれた事により四輪のホイールバランスが崩れたオープンカーは、高速で走っていることもあり、ハンドル操作が殆ど効かなくなってしまった。
 高杉と翔子が乗ったオープンカーは、高杉の必死のハンドル操作も虚しく、斜めに生えた椰子の木の幹に乗り上げて、強い衝撃とともに止まった。
「怪我はないか?!」
「ええ!」
「よし、降りて走るぞ!」
「分かったわ!」
 高杉と翔子は、急いでオープンカーを降りると、銃弾をかいくぐりながら、椰子の木々の間を走り始めた。
 二人は銃弾が容赦無く降り注ぐ中を必死になって走った。翔子の美しい顔には、悲壮感が漂い、高杉の顔には焦りの色が滲んでいた。
 二人が必死になって走っていると、再び白い砂浜に出てしまった。砂浜では銃弾の盾になる椰子の木が生えていないため、逃げて走るのには極めて不利であった。
 だが今更、引き返す訳にはいかない。追っ手の黒いセダンのエンジン音がどんどんと迫ってきており、銃弾が二人の足元に、次々と撃ちこまれていた。
 高杉は翔子の手を引きながら、白い砂浜を必死になって走った。
 すると、二人が走っている砂浜の少し先に、白い小さな木造の小屋が建っていた。海に突き出るように建つその小屋は、貸しボート屋の小屋であった。
 だいぶ老朽化したその小屋の前では、麦藁帽子を顔に覆わせた一人の老人が、ビーチチェアーで転寝をしていた。その老人の側にあるラジオからは、バラードが静かに流れていた。
 高杉は翔子の手を引きながら、その貸しボート屋の小屋に向かって走った。
 砂が足に縺れて、二人は思うように走れなかったが、二人は必死になって、白い砂浜を走った。
 追っ手の銃弾をかいくぐりながら、どうにかボート小屋にたどり着いた高杉と翔子であったが、その後何も為す術が無かった。
 このままでは、やられる!
 そう思いながら辺りを見回した高杉の目に、あるものが飛び込んできた。
 それは小屋の脇においてある二台のジェット・スキーであった。
「あれだ!」
 高杉はそう叫ぶと、翔子の手を引いて、小屋で転寝をしている老人の脇を通り抜け、ジェット・スキーのところまで走り寄った。
「ちょっと、これを失敬するか」
 高杉は僅かに残っている余裕を見せながらそう言った。
「ええ」
 翔子は相槌を打った。
 追っ手のセダンのエンジン音が、どんどんと二人の近くに迫っていた。こういう切迫した状況で、いちいち老人に事情を説明して、ジェット・スキーを借りている暇はなかった。もたもたしていると、二人とも殺されてしまうかも知れないのである。
 高杉と翔子は、それぞれジェット・スキーを波打ち際まで押していき、それに跨るとエンジンをかけた。ジェット・スキーのエンジンは、軽快な始動音とともに勢い良くかかった。
 するとジェット・スキーのエンジン音で、転寝をしていた老人が目を覚ました。
「何をするんじゃ!」
 目を覚まし老人は、しゃがれた声でそう叫んだ。
「ちょっと借りるよ」
 高杉はそう言いながら、勢い良くジェット・スキーを発進させた。
「ごめんなさいね」
 翔子もそう言いながら、高杉の後に続いてジェット・スキーを発進させた。
「待てーえ! 泥棒!」
 老人は拳を挙げてそう叫んだ。しかし、もう後の祭であった。高杉と翔子は勢い良く海に出た後であった。
「最近の若いもんは、スーツを着てジェット・スキーに乗るのか?」
 老人はそう独り言を言った。
 とその時、銃声が鳴り響いたと同時に、老人が被っていた麦藁帽子に穴が開き、貸しボート小屋に次々と銃痕ができた。
「何事じゃっ?!」
 老人はそう叫びながら、地面に身を伏せた。
 追っ手の男達は、高杉と翔子が乗ったジェット・スキー目掛けて、次々と拳銃を撃った。しかし既に、遥か海の上にいる高杉と翔子には、もはや銃弾は届かなかった。
 追っ手の男達は、黒のセダンを貸しボート小屋の前で急停車させると、次々と車から飛び降りた。
「畜生!」
 追っ手の男達は、ジェット・スキーに乗って海の上を遠ざかっていく高杉と翔子を見ながら、地団駄を踏んだ。
 ジェット・スキーを並んで走らせながら、その様子を見ていた高杉と翔子は、目と目を合わせて微笑みあった。
 そして二人は、爽やかな潮風を全身に浴びながら、エメラルド・グリーンに輝く美しい海に、二筋の白い波を描いていった。

     5

 ジェット・スキーが上げた水しぶきは、眩しい太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
 高杉と翔子は爽やかな潮風に包まれながら、ジェット・スキーを軽快に走らせた。
 だが突然、またしても銃声が鳴り響いた。
 高杉と翔子の後方から、物凄いスピードで五台のジェット・スキーに跨った男達が、追いかけてきていた。追っ手の男達は、ジェット・スキーを操りながら、次々と銃弾を高杉達に向け、発射していた。
「また、おいでになったか!」
 高杉は後ろを振り返りながらそう呟くと、翔子をかばうようにして、彼女のジェット・スキーの後ろ側にまわり込んだ。そして高杉は遂に、今まで抜かなかった拳銃を、ジャケットの内側の脇の下に隠してあったホルダーから抜き取った。
 高杉は左手でジェット・スキーを操縦したまま、オートマチック式の拳銃の背を口にくわえて、安全装置を解除すると、後ろを向いて、追っ手の男達目掛けて拳銃の引き金を引いた。
 拳銃の名手である高杉ではあったが、ジェット・スキーの振動で焦点が定まりにくく、激しく動く標的に、弾はなかなか命中しなかった。
 エメラルド・グリーンに輝く美しい海の上で、激しい銃撃戦が始まった。高杉達と追っ手の男達のジェット・スキーは、激しい水しぶきを上げながら、エンジンの唸るような轟音を辺りに撒き散らした。
 追っ手の男達が放つ銃弾が雨のように降り注ぐ中、高杉の放った三発目の銃弾が、追っ手の一番前にいる男に見事命中した。
 高杉の銃弾が命中した男は、呻き声を上げながら海に投げ出された。
 そして、その男が操縦していたジェット・スキーは操縦する主を失い、その斜め後ろを走っていたジェット・スキーにぶつかり、ぶつけられたジェット・スキーに乗っていた男も海に投げ出された。
 高杉と翔子を追ってくるジェット・スキーは三台になったが、尚も拳銃を撃ってきていた。
 翔子は度々、後ろを振り返りながら、必死になってジェット・スキーを走らせた。翔子は、全身を襲う恐怖と戦いながら、高杉の足手まといにならないように、ジェット・スキーをジグザグに走らせた。
 高杉は、翔子をかばうようにして巧みにジェット・スキーを操縦しながら、拳銃で応戦し、また一人の追っ手の男を撃ち取った。
 だがその時、高杉の拳銃に装填されていた銃弾が底を尽きてしまった。応戦しなければ遣られてしまう。かと言って、スペアの弾を装填するには両手を使わなければならない。しかし、ジェット・スキーから両手を放せば、自分が海に投げ出されてしまう。高杉にとってまさに万事休すであった。
 とその時、高杉の視界に入ってきたものがあった。
 それは、目の前に迫ってきたビーチで、ジェット・スキーによる曲芸大会が行われている光景であった。
 次々に繰り広げられるジェット・スキーのあざやかな曲芸に、集まった観衆は歓声を上げ、大会は大いに盛り上がっていた。
 高杉は翔子のジェット・スキーの横に並ぶと、翔子にその曲芸大会の方向を指差した。翔子も高杉の意図を察し、軽く頷いて見せた。
 激しく銃弾が降り注がれる中、二人はジェット・スキーを曲芸大会の方へと、進路を取っていった。
 何とかたどり着いてくれ! 曲芸大会を目指しながら、高杉は祈る思いでジェット・スキーのハンドルを握った。
 エメラルド・グリーンに輝く美しい海は、激しい水しぶきが舞い、追っ手が放つ銃声とジェット・スキーのエンジン音が交差していた。
 そして遂に、高杉と翔子は、追っての執拗な銃弾をかいくぐり、遂にジェット・スキーの曲芸大会の会場のへと、入り込んでいくことに成功した。
 ジェット・スキーが繰り広げる曲芸に酔いしれていた観衆は、突然、スーツを着てジェット・スキーに乗った男女二人が大会に入り込んできたので、一瞬唖然としてしまった。
 そんな観衆の驚きをよそに、高杉は華々しく凱旋するように右手を上げながら、ジェット・スキーに乗ったまま大会の会場の真中を通り抜けていった。翔子は少し恥ずかしそうに、高杉の後に続いた。
 ジェット・スキーの曲芸大会にうまく逃げ込んだ高杉と翔子を見た追っ手の男達は、大会の会場の手前でジェット・スキーを停止させた。
 所かまわず拳銃を撃つ追っ手の男達であったが、多くの観衆が見ている中、拳銃を撃ちながら二人を追う訳にもいかず、地団駄を踏みながらジェット・スキーを反転させると、退散していった。
 高杉と翔子は、ジェット・スキーの曲芸大会の会場から少し離れた砂浜に、自分達が乗ってきたジェット・スキーを乗り上げて止めた。
 二人は水しぶきを全身に浴び、髪の毛やスーツが、これ以上水を吸えないくらいに濡れていた。
「せっかくのスーツが台無しだね」
「ふふふっ、暑いから丁度いいわ」
 高杉と翔子は、お互いに笑いながらそう言った。

     6

「高杉だけど、717号室の鍵を」
 高杉は既にチェックインが済んでいるホテルのロビーのカウンターで、鍵の受け渡しをする男にそう言った。
 カウンターの男は、スーツを着ながら濡れ鼠になっている高杉と翔子の姿を、怪訝そうに見ながら、
「高杉慶介様ですね。717号室の鍵でございます」
と言って、高杉に部屋の鍵を渡した。
「ありがとう」
 高杉は部屋の鍵を受け取ると、翔子をエスコートしながら、足早にロビーの隅にあるエレベーターへと向かった。
 高杉がチェックインしていたホテルは、グアム島で指折りの高級ホテルであった。、床が大理石でできた広いロビーのいたる所に、南国の色鮮やかな花々が、大きな花瓶に活けられ、高い天井の上に取り付けられた大きなファンが、静かに回っていた。
 そのホテルのロビーにいた観光客達は、濡れ鼠になった高杉と翔子を注視した。
 高杉と翔子は、素早くエレベーターに乗り込むと、直ぐにドアを閉めた。そのエレベーターには、新婚旅行に来ていた一組の若いカップルが、一緒に乗り合わせていた。
 高杉はエレベーターに乗り合わせたその若いカップルと目が合うと、
「いやぁー、あんまり暑いんでこのまくまプールに飛び込んでしまいましたよ。はははっ」
と照れ笑いしながら言い、エレベーターが七階に到着すると、翔子の手を引いて逃げるようにエレベーターを降りた。
 そして高杉は自分の部屋に急いで入ると、翔子の手を引いたままバスルームへと直行した。
 翔子とともにバスルームに入った高杉は、
「さあ、風邪をひく前にシャワーを浴びよう」
と言って、濡れた服を一枚一枚脱ぎ始めた。
「ええ…」
 翔子は少し戸惑いながら、小さな声でそう返事をした。
 まさかバスルームで高杉と一緒に服を脱ぐ事になるとは思いもしなかった翔子は、少し恥ずかしそうに服を一枚一枚脱ぎ始めた。
 しかし二人とも、びっしょりと濡れた服が思うように脱げず、お互いに悪戦苦闘する姿が滑稽に映り、バスルームには二人の笑い声がこだました。
 ついさっき初めて知り合った二人であったが、ともに死線をかいくぐった二人は、もう長い間付き合っている恋人同士のように、裸になっていった。
 一糸まとわぬ姿になった翔子の身体は、痩身で肌が透き通るように白く、豊かな胸の美しい身体であった。スマートな身体つきの高杉は、意外に胸板が厚く、無駄な贅肉が無い筋肉質の逞しい身体つきであった。
 濡れた衣服を全て脱ぎ捨てて裸になった高杉と翔子は、一緒にシャワーを浴び始めた。
「とても綺麗だ」
 高杉は、翔子の白い肩に手を添えながらそう言った。
「恥ずかしいわ」
 翔子は高杉の目を見つめながらそう言った。
 熱いシャワーが降り注ぐ中、高杉は翔子の唇に自分の唇を静かに重ね合わせた。翔子は少し、はにかみながらも、高杉の口づけに応えた。やがて二人は、甘い口づけを交わしながら、お互いに抱きしめ合った。
「一つ、聞いてもいいかしら?」
 不意に高杉の唇から自分の唇を話した翔子は、上目使いに高杉を見つめながらそう言った。
「何かな?」
 高杉は少し怪訝そうな顔をした。
「どうして、拳銃なんか持っていたの?」
 高杉は微笑みながら、翔子の問いに答えた。
「内閣官房・内閣情報調査室の情報調査官は、事務職だから拳銃を持たないけれど、秘密情報官は、自衛隊からの出向者が併任で任命されるから、拳銃を持っているんだ。だから私も内閣情報調査室の秘密情報官であると同時に、陸上自衛隊・戦術情報部の二等陸尉なんだ」
「そうなの?」
「おわかりかな?」
「ええ」
 翔子は納得したようにそう頷いた。
「では、また続きを…」
 高杉はそう言うと、翔子の唇にゆっくりと口づけをした。翔子も高杉の口づけに甘く応えた。
 二人の口づけは次第に激しくなり、二人はお互いに強く抱きしめ合った。
 翔子の熱く切ない吐息が、降り注ぐシャワーに、甘く溶けていった。

第四章へ続く・・・

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